院長エッセイ集 気ままに、あるがままに 本文へジャンプ

 

 

ユンヂチ・ミッションとイッペーの花

 

イッペーの花が咲いた。まだ一輪、早春の朝露にしっとりと花弁を濡らしている。目の覚めるような色鮮やかな黄色。色を言葉で表現するのは難しい。金糸雀色(カナリア色)といえば文学的だが、金糸雀色はわずかなくすみを伴う黄色である。イッペーの花の色は印刷業界の色見本で言えば「中黄色」ということになるのだろうが、言葉の美しさが、実際の色の美しさに負けている。梶井基次郎が、小説「檸檬」で、その果実の色を表現する。『レモンエロウの絵具をチューブから絞り出して固めたようなあの単純な色』。絵具は他の色を混合すると彩度と明度を失っていく。また空気に触れる時間とともに、色相まで変化する。「チューブから絞り出したばかりの純粋で混じり気のない鮮やかな黄色」は、梶井の愛した檸檬の色を表現するにふさわしい。その檸檬は掌に収まる一顆でありながら、梶井の心を終始押さえつけていた不吉な塊を弛緩させ、執坳かった憂鬱を軽やかな昂奮に転換する。一刹那、心身の健康を取り戻した梶井を、その檸檬の鮮やかな黄色が象徴する。文学とはかくあるべし。イッペーの花の色も正にその色である。

このイッペーは、医院の開業時に、玄関前のシンボルツリーとして選んだものだ。毎年きれいな花をたくさん咲かせているわけではなく、その年々で咲く花の数が驚くほど違っている。昨年は花のつきが悪く、今にして思えばコロナ禍を暗示していたのかも知れない。そう考えると、今年の咲き具合に、期待と不安が交錯する。

イッペーはコガネノウゼン〈黄金凌霄〉の別名で、沖縄以外の他府県ではイペーやイペと呼ばれることが多い。ノウゼンカズラ科タベブイア属に分類され、ブラジル・アルゼンチン・パラグアイなどに分布する。樹齢を重ねると、樹高が45m、幹が1mを超える大樹となることもあるという。特徴的な鮮やかな黄色のほかにピンクの花をつける種も知られ(計7種類)、別名タヒボという名の薬用植物であり、建築資材として利用されることもある。ブラジルでは、この木を国樹とする法案が1950年代に国会に提出されたことがあるほど、一般に親しまれている樹木である。(結局法案は成立せず、国樹は「ブラジルボク」となった)。確かにブラジル国旗の黄色は、イッペーの花の色と同じである。

 

話題は変わるが、昨年末にお墓を移転した。これまでのお墓は識名霊園内にあり、ウシーミーの時期、人出の多さと駐車スペースがない状況に閉口していたのだ。お墓自体の老朽化も激しく、一部コンクリートが崩れ、鉄筋がむき出しになっていたので、そろそろ新しいお墓をと常々考えていた。昨年はユンヂチであったので、これを機にお墓を移転しようということになったのである。なぜユンヂチに?ちょっと調べてみた。沖縄で使う旧暦は新暦に比べ、1年の日数が約11日間短いので、新旧の暦の季節を合わせるために19年の内に7回(23年に1回)、旧暦を13か月にして調整する。この増えた1か月をユンヂチ(閏月)と言う。あの世のご先祖様は、この増えた1か月分を認識できない。現世の人の都合で、位牌や仏壇を新しくしたり、墓を新改築したりしても、ご先祖様に知られることがないので、バチが当たらないとされているのだ。厳密には、増えた1か月の間にことを済ませる必要があるのだろうが、ユンヂチのある年であれば、セーフということになっているそうだ。

お墓を開いて、骨壺を取り出す。中には100年近くの素焼きものもあって、蓋が家屋の屋根の形をしており、まさに骨董品的なたたずまいを見せている。もろくて重いので、移動には気を遣う。その中にあって、新しいものが父のものだろうと、取り上げてみると、思いのほか、軽く持ち上がる。病床にあって、抱き起したときに感じた軽さを思い出して、胸が詰まった。壺に書かれている日付を確認する。平成1812月。つい最近のことのようでもあり、ずいぶんと過去のようでもある。お墓の中でひっそりと止まっていた時間が動き出した。その時間の流れに戸惑うように肩を並べている骨壺を、ひとつひとつそっと車に積み込む。運転も慎重に。ご先祖様に気づかれないように遂行するミッション。ユンヂチとはいえ、倒して割ってしまってはさすがに気づかれてしまうだろう。アクセルとブレーキ操作にも気を使う。到着した墓地は、糸満市真栄里の丘の上にあり、自院のすぐ近く。自宅からでも、車で10分もかからない。よく整備された霊園で、糸満市内が一望に見渡せる、と言いたいところだが、高く茂った草木にさえぎられて、視野角40度ほどでの観望となる。それでも高台なので、吹き抜ける風が心地よい。「これからは、ちょくちょく来るからね」。新築のお墓の前で手を合わせると、冬陽にあたる背中を、誰かにポンと叩かれた気がした。「おやじは気づいていたんだね。ミッションは失敗?でも許してくれるよね」。

 

平成12年に兼城に新居を構えたときに、イッペーの木を植えた。父の希望だった。植樹して3年目から、花をつけ始めた。父に割り当てた部屋からは、その鮮やかな黄色い花がよく見える。いつだったかその花を見ながら、「きれいだね」と父がつぶやいた。似つかわしくないセリフに思わず「フン」と鼻を鳴らしたが、少しうれしかった。その記憶に導かれて、私は自院玄関前のシンボルツリーとして、イッペーの木を植えたのだ。天国からも見えるだろう。レモンエロウの絵具をチューブから絞り出したばかりのような、この色鮮やかな黄色い花が。

 




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