院長エッセイ集 気ままに、あるがままに 本文へジャンプ

小さい私 〜 吝々君の活躍 〜

 

年が明け、とある家具店で買い物をした。新春バーゲンセールを狙っての買い物である。5,225円と4,482円の二点を購入すべくレジに並ぶと垂れ幕が目に入った。『現金購入で、全商品10%OFF』続きがあった。『もしくは本日から使用可能な15%OFFに相当する商品券贈呈』。細君は「やっぱり15%OFFの商品券がいいわよね〜」と言って列に並ぼうとする。「まて、ちょっと待て」私は細君の肘をつかんで列から引っ張り出した。「冷静になろう。これには裏がある。」確かに二点の合計9,707円の15%である1,456円分の商品券をもらった方が得だろう。しかし本日それを使うことはない。次回この店舗で、何かを購入する予定もない。現金値引きという殺し文句の前には、買う当てのないものに対する商品券などただの紙切れに過ぎない。「今日から使えるんだったら、二回に分けて買えば、商品券の方がやっぱ得じゃない?」細君が深く考えもせず能天気に笑う。それは『あり』だ。しかし、詳細な検討が必要だ。私は素早く買い物シミュレーションを発動した。「これは微妙な判定になる。」そう呟いて、めまぐるしく左脳を働かす。先に5,225円の商品を買う。その15%OFF分の商品券は約784円。それを4,482円の商品購入に充てると、3,698円で購入可能である。先の商品との合計金額は5,225 + 3,698 = 8,923円。一方二点を素直に現金購入すると、9,707円の10%OFF8,736円。10%OFFの方が約187円もお得である。以上の計算結果を、はあはあと鼻の穴をふくらませながら細君に説明すると、「ふーん。そーなの」素っ気なく頷く。なんで冷静でいられるのだ、私の数学的かつ理論的な考証のおかげで、187円も得をするのだ。興奮冷めやらぬ私は、帰りの車中、大変幸福であった。

 やはり私はセコいと自ら思う。有料のパーキング場に駐車する際は、しっかり入車時間を確認し、きりのいい時間ぎりぎりまで有効に使おうとするし、三十分毎の駐車料金繰り上がり時刻が近づくと、心臓がドキドキし、買い物どころではなくなる。いきおい家族をせかして駐車場に駆け込むときなどは、必死の形相で駐車券を握りしめ、精算所に殺到するという(細君談)。二分オーバーで150円アップの料金となった時などは、悔しさのあまり、用もないのに「そのまま駐車場で二十分待機!」と叫んで、家族のひんしゅくをかった。自動販売機で、缶ジュースを買うときなども、釣り銭の無いように入金したにも関わらず、必ず釣り銭受けを指で確認する。一見無駄な行為に見えるが、過去二回ほど直前の使用者が取り忘れたとおぼしき小銭をゲットできた幸運に巡り会い、その時の天にも昇るような快感とともに、自動販売機による物品購入の一連の手順として私の運動連合野に刻みつけられているのだ。

 ここまで書くと、私は吝嗇親爺の誹りを免れないであろうと考える御仁もおられると思うが、物事はそう単純ではない。私のセコい金銭感覚が発動する条件が特殊であるのだ。セコいアンテナ、通称「吝々(りんりん)君」が反応する金銭レンジは一円からせいぜい数千円で、ちょっとした注意・気配りで節約出来たり、ゲット出来きたりするものに限られる。なぜか一万円を越えると、「吝々君」はとたんに感度が低下し、周りが危惧するほどの無能ぶりを発揮するのだ。“限定品”の言葉に踊らされ高い買い物をするのは日常茶飯事で、「どうせ買うならいいものを」という戯言を美徳と勘違いし、値札の情報をさらりと無視、色や形に拘ったりする。趣味は人生のオアシスと嘯いて、インターネットショッピングサイトから次々と送られて来る小包に心躍らせる。自分に対してだけではない。細君に高価なドレスや着物を惜しげもなく買ってあげるのも(あとでちょっと後悔するという健気な「吝々君」がいじらしいが)、筋金入りのケチではない査証である。プチ・ケチとでも命名しよう。

 かの文豪夏目漱石は『我が輩は猫である』のなかで、金をつくるすべとして「義理をかく、人情をかく、恥をかく」と実業家を揶揄する。ケチに徹し、金を貯める三角術とも言われている。ある意味清々しく、ケチ道を極めんとする人々にとっては金科玉条の旗幟であるが、何事にも中途半端な私には、まだまだ辿り着けない雲上の境地と言えよう。

先日、「某スーパーの惣菜コーナーにある茄子の味噌炒めが欲しい」という母親のリクエストに応えるべく、買い物をしたときのことである。スーパーでの買い物の醍醐味である、売れ残りバーゲンプライスでないことが残念ではあったが、たまには親孝行の真似事でもという殊勝な気持ちから、少し多めに買ってレジに向かった。「迂闊だった。」店員の言葉を待つまでもなく、レジに商品を差し出した瞬間に私は気づいたのだった。「レジ袋、お出ししましょうか?」冷たく響く店員の声に「うっ。」と唸って、私は頭を巡らした。「何たる失態。マイバックを忘れてしまった。ひとパックならまだしも、三個も四個も手で持ってスーパーを出るのはいかがなものだろうか?レジ袋代をケチっているのが見え見えの行為だ。ダンディーなイメージで通っている私のプライドが許さないのではないか。それを捨て去る勇気が、今の私にあるだろうか?」私は心の動揺を悟られぬようにクールに返事をした。「お願いします。」脂汗が広い額ににじむ。しかし、店員の次の言葉が、悔しさに身もだえする状況に活路を開いてくれた。「割り箸、お入れしましょうか?」割り箸なんぞ必要ないのだが、私は間髪を入れず「はい」と即答した。これで少しはレジ袋代を相殺出来るだろう。思うまもなく次の言葉が来た。「おひとつでよろしいですか?」私は勝利のサインのごとく力強く指を突き出して言った。「ふ、ふたつお願いします」。

 駐車場に戻り、車で待つ息子に事の顛末を話してやると、彼は一オクターブ高い声で叫んだ。「ぅわ〜、ちぃーせ〜」。


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