先生の息子
私の母は、今年3月で97歳になった。短期記憶はいささか苦手ではあるが、認知機能に問題はなく、月何件かのモアイにも顔を出す。何かの折には和歌や漢詩をそらんじて、皆に説教を垂れる。戦後すぐに国語の教師として教鞭をとり、戦後の混乱と再生の中で、がむしゃらに働いた。時代に先駆け女性校長となり、学校経営に手腕を発揮。県教育委員を歴任し、瑞宝章の叙勲まで受けている。すなわち彼女は沖縄県教育界の重鎮で、特に南部地域には教え子がそれこそ大勢いて、お偉い方々からも「吉川先生の息子さんですか」とおこぼれの敬意をいただき恐縮する。地元で開業しているので、開院当初、患者様からも「吉川先生の息子さんですか」尋ねられることが多々あり、それは今も続いている。 母を知る人たちからは、私は「吉川先生」ではなく「吉川先生の息子」というワンクッションが入るのである。不思議とそれはイヤではない。患者様の母に対する敬意が本物だからである。「吉川先生の息子」を快く受け入れている。
「大好物は親のスネ」とうそぶいていた息子も、今春どうにか地元の大学を卒業し、現在は研修指定病院で、研修医1年目として医師のキャリアをスタートさせた。さすがに生活費と住居費用は自分で出しているようだが、医学書などは私のアマゾン・アカウントでしれっと購入している。時々家に寄って夕食をとるのだが、その合間に件の医学書などを真剣に読んでいる姿を見ると、もうしばらくはスネを鍛えておかなくてはと思う次第。その研修病院の現院長は、浪人時代机を並べた仲であるが、息子には会ったことがなく、研修するということも特に伝えてなかったのだが、息子を見るなり(天然パーマで背格好も似ているからか)「吉川先生の息子でしょ」と開口一番に言ったそうである。その病院には、知人の医師、医療スタッフも少なからずいるので、もうしばらくは「吉川先生の息子」という看板(貧相な看板で、息子には申し訳ないが)を背負っていくのだろう。それをどう感じているか、聞いてみたい気もするし、聞きたくない気もする。(どっちなの?というつっこみはご容赦)私としては、そんなに遠くない将来に「吉川先生のお父さんですか?」と言われて、にたにたと相好を崩す自分を想像しているのだが、そこはひとつ気を引き締めて、医学的知識・医療技術の習得は当然のこととして、彼の医師としての自覚と責任感、矜持がどう成長していくのかを、親としてではなく、先輩医師として厳しく見守っていくつもりである。
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