院長エッセイ集 気ままに、あるがままに 本文へジャンプ

  

還暦同窓会

 

昨年、たぶん6月頃であったと思うのだが、脳外科医の旧友がクリニックを訪ねてきた。還暦の同窓会を11月に開くので、ぜひ協力して欲しいと、ずいずいと迫ってくる。幹事の一員になってくれとの依頼かと思いきや、同窓会で上映する「思い出のアルバム」のようなものを作成してもらえないかとのことだった。彼を中心に還暦同窓会が企画されているとの風聞を耳にしていたので、やはり来たかという感じではあった。卓抜した映像編集技術、心に訴えるコンテンツ作成の技能を持つ私への依頼は、至極当然であろうとは思う。だが、面倒だなあ〜と少し躊躇した私に、口角泡飛ばして、彼がまたもや膝を乗り出してくる。「思い出のアルバム」は、この宴会の重要な余興のひとつとなるので、「ぜひ吉川君の才能を役立てて欲しい」。彼の鬼気迫る勢いに押される形で、「まああと5か月もあるし」と、その依頼を引き受けた。彼は満足げに「これを使ってね」という言葉を残して高校の卒業アルバムを置いていった。私がとうになくしてしまった、そのアルバムをめくると、懐かしい日々が蘇る。私が作るからには、単なる余興ではなく、「作品」に仕上げるのを目指すことになる。「あと5か月もあるし、何とかなるでしょ」、アルバムは机の端に5か月置かれたままとなった。

同窓会1週間前に、お尻に火が付くいつものパターンで、「思い出のアルバム」改め「追憶のアルバム」の作成に取り掛かった。平均睡眠時間2,3時間の突貫編集で1日前にほぼ完成。最後のシーンに同窓会当日の映像も取り入れたかったので、開場時間ちょっと前に会場に行って、ロビーで待っている同期生を撮影。声をかけられると面倒なので、変装して(ジーンズ&トレーナー、帽子を深めにかぶった)撮影していたのだが、やはり気づく人がいて逃げるように帰宅。最後の編集作業は自宅で行ったため、宴会用の服装に着替え、30分遅れて、会場入りした頃には、ビュッフェの料理は底をついていた。あとで、件の脳外科医に愚痴を垂れよう。

「追憶のアルバム」は、我々が生まれた昭和34年の時代背景から始まり、その後の戦後復興、高度経済成長、米軍統治下のアメリカ世から、復帰後の大和の世と展開する。本土との格差からくる劣等感。その表裏をなす郷土愛。芸能界での沖縄ブーム。そして映像は高校時代に。クラスの集合写真、遠足や体育祭でのスナップ、部活動。途中に、海洋博の開催。沖縄を、他府県ではなく、世界に発信するという「万国津梁」の気概の再発見。その中で醸成された、我々の世代のアイデンティティ。目まぐるしく展開する映像に、オーバーラップで映し出される参加者全員の(当時の)顔写真。「すばらしい」、編集中に私自身が、何度もつぶやく出来であった。その作品の最後シーンでは、会場当日の同級生の歓談する映像をバックに、以下のテロップを流した。

 

まばゆいばかりの若き日々は、「追憶のアルバム」に、綴られている。ページをめくる度に、自分自身に問いかける。

 

あの頃見た夢は、叶えたい願いは、どこに行ったのだろうか? 

あの頃のときめきは、高鳴る胸の鼓動は、もう消え去ったのだろうか?

あの頃の燃えたぎる情熱は、ほとばしる汗は、何かを変えたのだろうか?

あの頃味わった挫折は、流した涙は、心の糧になっているのだろうか?

あの頃の未来に、私たちは今立っているのだろうか?

あの頃の将来に、私たちはすでにたどり着いたのだろうか?

 

60年の歳月を経て、今初めてわかる。答えはまだ見つからないのだと。かつて青春を共に過ごした仲間とここに集う。いつしか、白髪が増え、しわが刻まれ、でもそれが私たちの生きてきた証ならば、その1本、1本が、答えを導いてくれる。しかしそれはまだ先のことだろう。なぜならば、私たちは、今日気づいたからだ。それぞれの人生が、他人の秤では決して測れない重さを持ち、特別な色と明るさできらめいていることを。そして、その輝きは、若き日の輝きのまま、まだしばらくは色あせることがないことを。

 

同じ高校に通い、同じ時を過ごしても、人それぞれに資質も異なれば、卒後の努力や労苦も違うだろう。結果、手に入れた社会的ステータスや暮らしぶりにも差がでることは瞭然たる事実である。世間でいう「勝ち組」もいれば、そうでない人たちもいる。そして誰もが、スクリーンに映し出される若き日の自分たちの姿を懐かしむ一方、刻まれた皺や増えた白髪に溜息をつきたくなる。しかし還暦とはいえ、人生まだ道半ば。これからの人生も、まんざら捨てたものではない。あの頃の輝きを取り戻し、もう一花咲かすことだってできるだろう。最後のメッセージは、私から、愛すべき同期生へのエールのつもりであった。が、しかし、60年の人生を歩んできた学友に久しぶりに再会し、言葉を交わすと、高校時代の面影と何ら変わることなく、みないい笑顔をしている。ひとりひとりの60年という人生の重さと厚みは、小賢しい私の浅慮など無用であった。「何を偉そうに」天の声が聞こえ、忸怩たる思いに駆られるが、その感情は私をむしろ愉快にする。人生に「負け組」はいない。そもそも勝ち負けなどないのだ。そう気づかされた、晩秋の宵であった。

 




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