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青空に咲く白い花 ゴッホ

 

「花咲くアーモンドの花」と名付けられたこの絵は、サン・レミ精神病院で描かれた。ゴッホがゴーギャンとの生活に失望し、自分の耳をそぎ落とした事件後のことである。浮世絵を思わせる大胆な構図。独特のタッチで表現される枝には、可憐で小さな白い花が咲いている。晴れ渡った蒼い空の濃淡のゆらぎは、精神の不安定性を示しているのではない。抑えきれない喜びの感情、慈愛と祝福に満ちた魂の昂揚に心が打ち震えていたからだろう。この絵は弟テオの息子の誕生を祝って描かれ、そして贈られた。その子は叔父の名をとってフィンセントと名付けられた。「父親テオの名をつければよかったのに」といいながら、ゴッホの喜ぶ様が書簡に垣間見える。ゴッホの絵の唯一の理解者で、画商でもあったテオ。彼は物心両面で兄を支え、心から敬愛していた。その弟の息子の誕生はゴッホにとってもこのうえない喜びであったのだろう。その素直な感情の昂ぶりがこの絵には表出されている。青空に向かって力強く伸びた枝と汚れなき白い花に、子どもの健やかな成長を重ねて、狂気と正気の狭間、紛う事なき肉親の情に突き動かされ、ゴッホは絵筆をとったのだろう。ゴッホ晩年の傑作である。
 この作品が子ども部屋に飾られるようになって半年後、オーヴェル・シュル・オワーズの麦畑でゴッホは自らの命を絶った。さらに半年後、弟テオも最愛の兄を失った失意の中、病でこの世を去った。「 たとえ今、成功しなくても、僕が手がけた仕事は受け継がれ、続けられて行くだろうと信じています。正しいことを信じる人に直接会えないかも知れませんが、そういう人が、ひとりしかいない訳はありません 」。ゴッホの言葉通り、テオの妻ヨハンナはゴッホの展覧会を何度も開催し、その評価を高めた。甥フィンセントは心血を注ぎ、生涯をかけた事業としてゴッホ財団を設立し、ゴッホ美術館を開館した。オランダのアムステルダムにあるその美術館の中央に、大地に根を張るかのように、どっしりと厳かに、この絵は飾られている。貧困にも、精神の病にも、なにものにも侵されない家族の絆の象徴として。


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