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銀灰色の記憶 郷愁の行き着く先 コロー

 

「モルトフォンテーヌの思い出」は19世紀フランスの画家コローの代表作である。右手には、逞しい幹を持つ大樹が画面を覆い尽くさんばかりに枝を張り、湛然たる水面に照り返す陽光が、その梢の葉に牧歌的な輝きを与えている。力強い生命の息吹はアレグロの旋律から、幾時代もの時を経て、アダージョのハーモニーへと移り変わる。左手には痩せ衰え、朽ちかけた老木に宿る宿り木に、手を差し伸べる若い娘と、咲き乱れる花を摘む子供達。その衣装の色彩は銀灰色の画面に仄かな温もりを添えると同時に、豊かな詩情を醸し出す。
コローは、初期にクールベらと共に写実主義として語られることもあれば、その後ミレーやテオドール・ルソーらと共に、バルビゾン派とされることもある。しかし私は、彼が独自の画風を確立してから後は、芸術性において、何者にも与しない孤高の画家であったと思う。移り変わる季節・飛花落葉を描写してなお、その日常の風景を悠久の造化として描ききった画家はそう多くはない。この絵はサロンに出品され、独特の抒情的な画風は大好評を博し、ナポレオン三世によって国家買い上げとなった。コローの描いた場所に人々が押し寄せ、風景画は脚光を浴び、彼は流行画家となった。フランス最高名誉のレジオン・ドヌール賞を受賞し、画家として最高の地位と名誉を得たにもかかわらず、コローは有頂天になることも、大家ぶることもなかった。周囲の人たちから「コロー親父」と呼ばれ愛され慕われた。彼は貧しい画家達の援助を積極的に行い、絵の売り上げのほとんどを修道院や孤児院に寄付したという。1875年、78歳で亡くなるまでコローは生涯一度も妻を娶ることはなかった。
とある美術館で私はコローの絵をひっそりと眺めていた。初めて見る風景にもかかわらず、懐かしさで胸が締め付けられた。哀しくて切ない感情は何処からくるのだろう。「コローはきっと寂しかったのだ」とふと思った。心が寂しくなければ、コローの様に本当に優しい人間にはなれないのだ。いくら親しい人たちに支えられてはいても、孤高の芸術家は、その魂において、いつもひとりであったのだ。いつか記憶は色を失い、銀灰色の輝きを得て、思い出となる。描いても描いても、辿り着けない、郷愁の行き着く先。銀灰色の思い出は通過点に過ぎない。その先にあるものを、私はコローと共に茫漠と眺めている。


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