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醜くて美しいもの ロートレック

    




晩秋の都会、三菱一号館美術館の赤煉瓦には、こぬか雨がよく似合っていた。トゥールーズ・ロートレック展。チケット売り場の列に並びながら、私はまだ逡巡していた。きびすを返して出口に向かおうとする私を、何かが思い留まらせる。私はやはりチケットを買うだろう。そしてひとつひとつの絵を鑑賞する。その度に、錐で小さな穴を穿つように、心が痛むのだ。それは、東京散策のために検索したサイトに、アリスティド・ブリュアンのポスターを見たときから決まっていた運命なのだ。

 図版はロートレックの最高傑作のひとつ「ムーラン・ルージュにて」(1892)。二十年前、アメリカ留学中に訪ねたシカゴ美術館。珠玉の名品の数々。その中にあって、ひときわ鮮烈な印象を与えてくれた作品。世紀末のパリ。喧噪、享楽、退廃、そして欺瞞と虚栄。夜の盛り場に蠢く人間たち。左角を三角に切り取る間仕切りの欄干が半ば強引に鑑賞者を画面の奥へと導く。その最初の一歩めで、左半身を無残に断ち切られた女性の顔に出くわす。不自然な照明に照らし出された不気味な表情は、底の浅い私を見事に看破し、小さな自尊心を根こそぎ奪い去る。画面中央には、画家の知人たちが酒を飲みながら無為な時間を過ごしている。口に上るのは低俗な噂話と、愚痴や中傷。アブサンと葉巻の臭い。白粉の香りとパフムに混ざる体臭。転落でも堕落でもなく、りんごが枝から離れ落ちて行くように、ただありのままに生きているのだ。そしてその奥に描かれた人物に、私は衝撃を受ける。上背のある従弟と歩くロートレックの自画像である。淫靡で猥雑な世界に身を置き、そこで暮らす人々に深い愛情をそそぎながらも、どこか超然としていて、その世界を冷たく描ききる。傍観者として通り過ぎようとする横顔に画家ロートレックの本質を見る。それが私にとってのロートレックの最大の魅力であると同時に、忌避したい衝動に駆られる元凶であるのだ。

 ロートレックは裕福な貴族の嫡男として生を受ける。類い希なる画家としての才能と、不自由のない暮らし。がしかし、彼にはぬぐいきれないコンプレックスがあった。幼少時に度重なる両下肢の骨折によって、下半身の成長が止まってしまい、均衡の崩れた短躯となってしまったのである。画家の両親が近親婚で、骨形成不全症かそれに類似の疾患であろうと推察できる。しかし彼は、人前ではけっして愚痴を言わず、明るく振る舞い、自分の不具さえ笑い話のネタにしたという。27歳で「ムーラン・ルージュのラ・グリュ」のポスターで一躍時の人となるも、ムーラン街へ入り浸るようになり、アルコールと性病(梅毒とも言われている)に蝕まれ、脳出血で世を去った。37歳の若さであった。「人は醜いが、人生は美しい」。ロートレックの言葉である。しかし彼はこうも言っている。「いつ、いかなる場所でさえ、醜さは魅惑的な面を持っている」と

美術館を出ると雨はやんでいて、濡れたアスファルトがネオンを映していた。ロートレックの言葉を借りて、私は思った。醜い人生を生き抜いた人々は、なんと美しく輝いているのだろうかと。






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