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「写実主義」の名のもとに クールベ







19世紀フランス、写実主義の画家、クールベ。当然ながら、彼を写実主義と呼ぶにやぶさかではない。しかし、その「写実」の内包する矛盾を私の中でどう処理していいのかが分からない。モチーフを予定調和的に美化する新古典主義、あるいは劇的な効果をこれ見よがしに添付するロマン主義に反目し、自分の見たものをありのままに表現するという気概、画家としての良心を私は素直に信じる。しかしその良心の中に蠢動する自己矛盾を「写実主義」の大義として納得するすべを私は知らないのだ。浅学の誹りなら甘んじて受けよう。しかし、その矛盾は私の中にある自己矛盾と共鳴し、彼の絵を鑑賞するたびに、チクリと胸の痛みを感じるのである。

 図版は初期の代表作「田園の恋人たち」。ロマン主義的傾向を強く残すこの作品は、当時の恋人とクールベ自身を描いたものである。時として鼻につく程に自己顕示欲の強いクールベは、多くの自画像を描いたのであるが、実際類まれな美男であったため、誇張することなく自分を美しいモチーフとしてキャンバスに描き留めることができた。鑑賞者が鼻白らむことなどお構いなしである。それこそ私の愛すべきクールベである。右上から左下へ流れる雲と、斜め下に投げかけられる女性の視線。それに呼応するように傾けられた左腕が、画面の外へ二人を連れ出そうとする。重厚な色調と安定した構図ながら、ダンスの軽やかな動きを、刹那に切り取った傑作であると思う。クールベはフェミニストであったに違いない。しかし、今日的なフェミニストとは少し異なる。「世界の起源」として崇め奉る一方で、弱き性(Le Sexe faible)として男性の庇護下に置こうとする。恋人とダンスを楽しんでいる時でも、前方をまっすぐに見つめるクールベの視線。固く握りしめる左手の描写が、それを裏付ける。一見して分かるのが、クールベ自身と恋人との描き方の違いである。女性は背景の一つとしてさらりと描かれる。クールベは、手紙の中でこの絵のことを「理想と絶対的愛の中にいる男の肖像」と表現している。クールベのフェミニズムはナルシシズムの延長にある。私はそれも嫌いではない。美しいものに憧れ賛美する反面、醜い現実を冷徹に描きる。権威・権力に反感を持つ一方で、それに取り入ろうとする。パリ万博で、「画家のアトリエ」の出展が拒否された際、会場の前で個展を開いたのも、権威に執着する反動でもある。自らの画家としてのアイデンティティを高らかにうたいあげた「レアリズム宣言」。ナポレオン三世が、レジオン・ドヌール勲章を授与しようとしたとき、「それよりも私は自由がほしい」と嘯いて受賞を拒否した傲岸不遜な態度。パリ・コミューンで熱き芸術家を演じたと思いきや、逮捕・監獄収監を経てスイスでの亡命生活では、角をもがれた牡鹿が森の奥で密かに暮らすように、沈黙を守りとおした。理想からの逃避、現実の甘受を非難するつもりはない。むしろ私は隠遁生活で細々と描き続けた静物画と風景画に最も心惹かれるのだ。

彼の親友であったプルードンが、科学的社会主義から晩年の連合主義へと変遷していく過程で、矛盾こそが社会の活力であると看破したように、クールベの中にある、権威と自由との葛藤、伝統と革新との相克、その自己矛盾こそが彼の芸術を開花させ、その破綻が晩年の傑作を生み出したのだ。






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