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神が宿る風景 〜ピクチャレスクを越えて〜




二十年前、ロンドン・ナショナルギャラリーを訪れたのは、冬の寒い日のことであった。海外のそれも超一流の美術館に意気込んでいた私は、小さな紙切れをポケットに忍ばせていた。日本を発つときに、見るべき作品のリストや作者、時代背景を要領よくまとめて書いたものである。はやる気持ちを抑えて最初の展示室に入る。時代を代表する画家の、またその画家を代表する芸術作品の数々。一時間も経たないうちに、私は後悔し始めていた。「私には荷が勝ちすぎている」。私の浅薄な鑑賞力はたちまち枯渇し、感動を表現する言葉は尽き、思考は停滞する。リストは何の役にも立たない。くしゃくしゃと丸めて、ポケットに戻す。「半日で回るには、珠玉の作品群に失礼であろう」と鑑賞そのものをあきらめたときに、コンスタンブルの「乾し草車」(図版)の前で立ち止まった。「絵のように美しい風景」を描いた他の作品と何かが違うのだ。その違和感は、しかし私の心を解きほぐす。「絵のように美しい風景」ではなく「自然のように美しい絵」。雄大な雲の流れ、垣間見える青空の清々しさ。遠景に広がる牧草地とその先に広がる森の佇まい。中央には主題となる干し草車。何よりも馬の背の赤い馬具・紅一点が美しい。コンスタンブルはしばしば画面中央に赤の絵具を配するのだが、この絵が最も効果を上げていると思う。

これまで張り詰めていた緊張の糸がゆるんだ。対峙していた絵画が自分の側に寄り添ってくる。どんなに美しい自然の風景に出会っても、それを十分に堪能出来ない自分を、「自然に対して失礼だ」などど、考えることはまずない。なぜなら自分も自然の一部なのだから。芸術作品に対してことさら身構えていた自分が馬鹿らしくなった。そして最初の展示室に戻って、鑑賞をやり直した。教室での授業ではなく、課外授業の高揚感が私の心を満たし、これまで見えなかったものが見えてくる。感じられなかったものが、素直に心に届いてくる。

「ピクチャレスク」という言葉は、十八世紀イギリスの美学運動を主導したウィリアム・ギルピンが執筆したピクチャレスク旅行記に端を発する。絵画という基準を通して自然を観賞する態度。言い換えれば、絵画作品として成り立つような美を自然の中に見つける行為。イギリスにおいて風景画がその地位を確立する黎明期に、風景は美しく牧歌的であるべきものとして画題となり、予定調和的な風景画が氾濫した。コンスタンブルもそのピクチャレスクの系譜に連なるものと高を括っていた。しかしそれは間違いであったのだ。画家が絵を描こうと画架を立てたその時に、対象となる風景は恣意的なものとなることは避けられない。しかし、それを許す度量が、侵すことが出来ない美徳として自然には備わっているのである。コンスタンブルはそのことを本能的に理解していたのだと思う。人智の結晶である芸術と自然の造化である風景。それを秤にかける「ピクチャレスク論争」が不毛であることくらい、とうの昔に看破していたのだ。

ナショナルギャラリーを出ると、くしゃくしゃにしたメモ用紙を思い出し掌に乗せた。小さく凝り固まっていた自分のようだ。それを広げて、石造りの外壁に滑り込ませる。紙も石も元々は自然が作り出したもの。そして我々も。広場の噴水に腰掛けて荘厳な建物を見上げると、ロンドンの冬空、低い雲間に青空がのぞいていた。





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