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哀しきマリオネット ユトリロ

    


 ユトリロの代表作について語るとすれば、「白の時代」の作品を挙げるべきであろう。しかし、あえて私は1945年の「キャバレー、ラパン・アジル」を載せる。白壁は平板で、空には表情がない。風にそよぐ若葉が画面にリズムと奥行きを与えているが、生命の息吹は感じられない。1912年の傑作「ラパン・アジル」を知る私にとって、この絵の鑑賞は、正直つらいものがある。「晩年の時代」の作品群から目をそらすことはたやすい。しかし私は心に決めたのだ。全ての時代に亘って、ユトリロの絵と正面から向き合おうと。それが、青春の一時期を支えてくれたユトリロに対する、私のオマージュであると。
 ユトリロの母シュザンヌは自由奔放な恋多き女性で、ユトリロは私生児として生まれ、母親の細やかな愛情を知らずに育った。十歳頃から酒を飲むようになり、十七歳の時にはアルコール中毒で入院する。ユトリロの友人ユッテルが母シュザンヌの愛人となると、ユトリロの心身の荒廃は決定的なものとなり、酒場から酒場へと放浪するようになる。ユトリロの「白の時代」の始まりである。最愛の母とその愛人との狭間で、瓦解する自らのレゾンデートル。白壁に塗り込められる孤独な叫びが輝きを増すのは、むしろ必然であった。絵が売れ始め、名前が知られるようになると、ユッテルはユトリロの絵のマネージャーとなり、シュザンヌと共にユトリロの生活を管理・監視し、半ば幽閉状態で画業に専念するように画策する。その後、妻となったリュシーもユトリロに多作を要求するのみならず、「白の時代」の焼き直しの作品を描くように勧める。芸術的衝動の欠如する絵が、良作になろうはずもない。しかし作品は売れ続けた。経済的には裕福になり、レジョン・ドヌール勲章も得て、名声も頂点を極めた。
 「キャバレー、ラパン・アジル」。かつて自らの一部であった白壁を取り戻そうと、ペインティングナイフが空しくキャンバスを引っ掻く。輝ける時代の欠片を求めて、私の視線は虚ろに漂い、行き場を失う。ユトリロ自身が一番よく知っていたのだ。覆水は盆に返らないことを。しかし、断ることを知らない哀しきマリオネットは、黙々と画布に向かう。そのユトリロの弱さを、誰が責めることができるだろうか。画家としての成功が、芸術家としての不幸である悲劇を、誰が真に理解できるというのか。晩年彼が、魂の救済を求めたものは、祭壇に飾られた母シュザンヌの遺影と、彼女にもらったジャンヌ・ダルクの小像だけであったという。




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