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愛の画家・色彩の詩人 シャガール





 26年前の日曜日、ふとシャガールの絵が見たくなり、地方都市の県立美術館を目指して、国道を西に向かっていた。車中聞くともなく聞いていたラジオ。「昨日、画家マルク・シャガール氏が亡くなられました」アナウンサーの声にハッとする。偶然だと驚いたのではない。「やはり、そうか」と思ったのである。異郷の地で暮らす学生時代、望郷の画家シャガールに傾倒し、シャガールとは、どこかで繋がっていると感じていたのだ。
 図版の「誕生日」は最も人気の高い作品。シャガールの誕生日に、婚約者ベラが自ら手折ってきた花束を持って訪ねてくる。テーブルにはこの日を祝うためのパイ。ベラの手作りだろうか?部屋を飾る鮮やかなタペストリーは、ベラからの贈り物だ。結婚式を18日後に控え、幸せの絶頂にいる若い二人。「そのまま動かないで」シャガールはその一瞬をキャンバスに写し取る。ベラは後年書いたエッセイに、その時の気持ちを表現する。「あなたは、色彩の洪水の直中に私を連れて行く。つま先を蹴って宙に舞い、私をこの地上から引っ張り上げてくれる。」鮮やかな絨毯の赤とテーブルクロスの青。シャガール独特の哀愁を帯びた色彩表現は、まだ見られない。というより、若い二人には「愛」以外の感情が入り込む隙間が無いのだ。
 シャガールの絵を鑑賞するとき、彼の生まれ故郷、白ロシア、ヴィテブスクの言葉であるイディッシュ語の表現が謎を解く鍵だと言われる。この絵について言えば、シャガールの宙に浮く身体。イディッシュ語で「空中に舞い上がる」は「非常にうれしい」という意味である。シャガールの幻想的な描写の多くが、イディッシュ語の言い伝えや慣用句で了解可能であるという。シャガールに夢中だった頃、様々な解説書を読み漁り、イディッシュ語的解釈にいちいち頷いていた。しかしそれは、私の拙い鑑賞眼をさらに曇らせているだけでなく、シャガールの芸術の幅を狭くし、深みを浅薄化していることに気がついた。シャガールは宙にも浮く気持ちを絵画で表現したいのであって、その情熱は寓意的表現や意図的な構図の枠を遙かに凌駕している。イディッシュ語なんか知らなくても、民族や宗教を超えて、恋人達の幸せなひとときを、私達は共有することができるのだ。シャガールが言う。「我々が恥じることなく『愛』という言葉を口にすれば、すべては変わりうるのです。」さまざまな『愛』が氾濫する現代において、シャガールの説く『愛』は、単純で普遍的である。自らは変わることがない『愛』を中心にして、憎しみも、怒りも、妬みも、恨みも、すべて変わりうるのだ。祖国ロシアとの決別、ユダヤ人がための迫害、最愛の妻ベラとの死別、激動の時代を生き抜いた老画家は97歳の最後の日まで、絵筆を握っていたという。




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