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性の装飾と愛の虚飾 クリムト


 

「接吻」はウィーン分離派の代表的画家クリムトの作品である。構図・技法ともに、黄金期のクリムトの特徴が縦横に表現されていて、哲学的で寓意的であると同時に、官能的で即興的。矛盾に満ち、相反するテーマが渾然とひとつの美に融合されるあたり、クリムトの面目躍如たる傑作であると思う。中央で抱き合う男女は、煌びやかな黄金の衣装に包まれているが、女性が男性の首に回した腕、手を握る手には愛を受けとめる力はすでになく、深く自分の世界に沈んでいる。男性の表情はうかがい知ることはできないが、衣服の四角い模様は、直情径行の暗喩であろうか。そのモノクロームの模様は、女性の衣服のカラフルな円形の模様との相補的な関係を示す一方で、永遠に相容れない頑迷さをも表している。二人は生命の息吹に満ちた草花の上で跪いているが、そこは嶮崖の突端である。女性のつま先は、タナトスに抗うようにわずかに土に食い込んでいるものの、黄金の蔦が妖しく絡まりながら、二人を奈落の底へ誘う。
 この「接吻」は、1908年にウィーンで開催された展覧会で大好評を博し、オーストリア政府買い上げとなる。モデルはクリムト自身と生涯の恋人・エミーリエ・フレーゲと言われており、結婚・夫婦という形では結ばれることのなかった二人の、不安定な関係が象徴的に描かれている。数々の女性遍歴と非嫡出子が14人を数えるという奔放なクリムトにとって、彼が唯一心を許した女性がエミーリエであった。彼女は当時の流行を牽引するファッションデザイナーであり、知的で自立した女性で、芸術的インスピレーションをクリムトに与え続けた。クリムトが脳梗塞とスペイン風邪で55歳の生涯を終えた後、エミーリエは彼との間で交わした手紙を全て焼却したという。クリムトとエミーリエの関係を詳細に調べ上げた著作物は多い。だがしかし、二人の間にどのような心の交流があったのかは誰も分からない。唯一、その答えを知る手がかりがあるとすれば、それはやはり絵の中にあるのだろう。この「接吻」を見ていると、絢爛たる筆致に心を奪われながらも、嚥下することの出来ない重い固まりを喉に感じて、息苦しくなる。クリムトとエミーリエが一番よく理解していたのだ。性の装飾によって惹かれあった男女が、束の間に夢見るものは、愛の虚飾にすぎないことを。エデンの園は不意に断崖で断ち切られる。クリムトの描くアダムとイブは、あまりにも哀しい。 



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