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絵画の「重さ」 アルチンボルド







絵画を見る時、私は絵の「重さ」を感じるようにしている。その重さは、単純に画家がその絵を仕上げるまでの時間や労力、あるいは想像を巡らして推し量る画家の情熱や思い入れ、芸術的思想や時代に棹さすテーゼやアンチテーゼなどを、私なりに換算したものである。所詮素人の鑑賞なので、秤のキャリブレーションは厳密ではなく、絶対的な基準は言うに及ばず、個人的な相対基準も気分次第と言った気楽さがある。それを許す寛容さが真の芸術作品には美徳として備わっていて、私的な評価などにはびくともしない泰然とした風格を持っている。

マニエリスムの画家アルチンボルドの作品は、私にとって重量級である。図版は「ウェルトゥムヌスとしてのルドルフ二世」。ウェルトゥムヌスとは四季を司る神であり、その偉大な神になぞらえたルドルフ二世は威風堂々と重厚に描かれる。軽々な阿諛追従などではなく、厚い信頼と忠誠心に貫かれたアルチンボルド晩年の傑作である。四季を代表する花は今は盛りと咲き乱れ、完熟した果実や野菜は新鮮で瑞々しい。アルチンボルドの絵は、奇想・奇抜、キワモノ的なものとして扱われたり、幾重にも張り巡らされた寓意表現から、ことさら難解で意味深長な作品として評価されたりする。しかしそのどちらも正鵠を射るとは言い難い気がする。細部に宿る造化の妙を描ききる筆力と全体としての調和と安定をもたらす構成力が作品を芸術たらしめているのだが、「こうやって描いたら面白いんじゃあないだろうか」という児戯に似た無邪気な発想、悪乗りと真面目さの奇跡的な均衡、そんな単純な魅力が私を引きつけている。

故郷ミラノを遠く離れたプラハで、ハプスブルク皇帝三代にわたる宮廷画家として活躍したアルチンボルドは、独特の絵画表現で一世を風靡した。絵画のみでなく、祝典のディレクターや宮廷の室内装飾、潅漑事業の技師としても活躍する多彩な天才であった。技法的にはマニエリスムに分類される。マニエリスムとは、盛期ルネサンスの輝かしさが頂点を極めた後、調和をあえて崩し、奇を衒った描写や限られた人にしか理解出来ない寓意を駆使した絵画表現である。フィオレンティーノ、ブロンズィーノらが隆盛を極めるが、多くの作品は庶民に公開されることはなく、宮廷などの閉ざされた世界でしか鑑賞・評価されなかった。没個性的な模倣が横行し、「マンネリズム」という言葉を生んだ。多くの画家が忘れ去られアルチンボルドもそのひとりとなった。しかし、二十世紀のシュルレアリストらによって再発見されると、マニエリスムの巨匠として再評価される。それは歴史的必然であったと思う。アルチンボルドの作品は「だまし絵」に留まらず、時代を超えて輝ける牢固たる美質があったのだ。

重さとはその物体に働く地球の重力である。私の感じる絵画の「重さ」は、作品と私の万有引力に他ならない。引かれ(惹かれ)合う楽しさは、人間同士の専売特許ではない。そんな楽しさを与えてくれるアルチンボルドの作品。心の分銅をどれだけ用意すれば、その「重さ」を量れるのだろうか。






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