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ガラス越しの日常 静寂にして饒舌 フェルメール


 


「牛乳を注ぐ女」は初期の代表作。フェルメールの絵と向き合っていると、ガラス越しの世界を覗き見ているような錯覚にとらわれる。そのガラスの介在が、独特の静けさを生み出している。類い希なガラスの透明度はこの画家の資質であるが、空間は完全に遮断されているわけではなく、耳を澄ませると、生活の息づかいが聞こえてくる。左手の窓からは往来のざわめき、走り回る子どもの嬌声。目の前では陶器が触れ合い、牛乳が注がれるかすかな音。右手奥の部屋からは、ヴァージナルの調べと笑い声。麗らかなひととき、それらの音や声が聞こえてくると、フェルメールの絵はもっと楽しくなる。
フェルメールは色彩でも雄弁である。臙脂色のミルクポッドと腰に巻き付けたウルトラマリンの前掛け。パンの茶褐色とライトブルーのテーブルクロス。色の対比の繰り返しが鑑賞者の視線を人物へと誘う。光に照らされた彩度の高い黄土色の上着は、折り返した袖口の裏地で青衣と繋がり、左側では壁に掛かる金属の小物入れと籐の籠に呼応して画面の奥行きを演出している。フェルメールブルーとも呼ばれる青を中心として、赤・黄の三原色が白壁に映える。光の表現も見事だ。窓から差し込む柔らかい光が部屋全体を優しく照らし出す。テーブルに置かれた静物には、反射する光が丸くこぼれるように描かれる。ポアンティエと呼ばれる技法。
フェルメーの絵は静謐であるという表現が濫用されがちだが、日用雑貨、衣裳、髪型やアクセサリーの流行など、卑近な日常が丁寧に描き込まれていて、存外饒舌なのである。
フェルメールの生涯はほとんど知られていない。全盛期は比較的裕福な画家で、若くして画家組合の理事になっていること。子どもが10人以上いたこと。交易都市デルフトが凋落し、晩年は貧困を極めたことなどが記録されている。世界的に再評価を受けた後は、ナチスドイツの絡んだ贋作事件を引き起こしたり、作品が5回も盗難事件にあったりと、話題に事欠かない。
ガラスを隔てたフェルメールの世界。そのガラスは、幾百年の年月が層をなし、鉛ガラスのように重厚である。戦争があり、災害があり、革命があった。しかし全ては透明に醇化され、フェルメールの描く生き生きとした市井の人々に心奪われる。そして今更のように気づくのだ。結局、人類の歴史を築き上げてきたものは、ありふれた日常とそこに暮らす一人一人の人間そのものであったのだと。



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