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ふたりのベルト・モリゾ その瞳の見つめるもの マネ

    


マネは黒の魔術師である。本来色彩のない黒に彩りを加え、重厚なフーガを奏でたり、軽快なスタッカートを与えるのは卓抜したマネの絵画的技量に他ならない。「すみれのブーケをつけたベルト・モリゾ」(図版左)はマネの代表作というより、絵画史における肖像画の代表作である。モデルはマネの弟子で、印象派の女流画家。乳白色の壁を背景に、黒い帽子と衣装は独特の荒い筆触で平面的に塗られている。それはモデルの端正な顔立ちを浮き立たせ、襟元とすみれのブーケの立体感が女性を魅力的に演出する。大理石の上に置かれた宝石を見るようである。がしかし、その宝石は我々鑑賞者を見てはいない。知性と情熱を裡に秘めた瞳は自分を描いている画家を見ているのである。痛々しいほど純粋で一途な視線。ベルトがマネに対して師弟関係以上の感情を持っていたことは、彼女の書簡や伝記を調べるまでもなく、この絵を見るだけで明らかである。肝心のマネは、その気持ちを知りつつ、またモデル以上の魅力を感じながらも、抑制のきいた筆致で作品を仕上げている。浮き名を馳せた他のモデルを描く時とは一線を画した暖かい画家の眼差しを感じる。時にマネ40歳。長年苦楽を共にした2歳年上の妻がいた。
「横たわるベルト・モリゾ」(図版右)は翌年に描かれた。同じモデルではあるが、その印象はかなり異なる。硬質な輝きは柔らかな温もりに変わり、黒い衣装は華やかに描かれる。広く開いた胸元、愛らしいコサージュが過度な妖艶さを自制する。ベルトの表情は穏やかではあるが、強い意志と脆い情動が交錯し、その哀愁を帯びた瞳は画家だけでなく自分自身を見つめている。彼女の安定したポーズとは裏腹に、マネの筆使いは主観と客観の均衡が僅かに崩れている。画家とモデルの間に漂う親密さと緊張感の不協和と言い換えてもいい。この1年間で何があったのだろうか。私は手元にある資料を次々と調べ始めたが、ある虚しさを感じて止めた。覗き見的な好奇心。小人閑居して不善をなす。師弟を越えた関係、道ならぬ恋があったか無かったかは、もはや何の意味も持たない。それはこの芸術作品に一片の瑕疵も与えないし、どんな付加価値をも添付しない。翌年、ベルトはマネの弟の熱心なプロポーズを受け入れ結婚する。絵画的にもマネの呪縛を離れ、その後彼女は家族の細やかな愛情を描いた傑作を次々と生み出した。1883年マネが死去した時、彼女は姉に宛てた手紙の中でこう記している。「親しい友として過ごした日々、二度と戻らない時間を、私は決して忘れません。私が彼のモデルとなり、あのなんとも言い難い魅惑的な才能と知性が、私に生きる活力を与えてくれていたあの頃を。」



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