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漆黒の闇と天上の光 無頼の天才が遺した奇跡 カラヴァッジョ

    


 カラヴァッジョは真の天才である。彼の絵を一度でも見た者は、その迫真性に驚嘆し、光と影の紡ぎ出す物語に心奪われる。そして、その作品は生涯その脳裏に刻まれる。多くの画家が魅了され、カラヴァッジェスキ(カラヴァッジョ派)を生み、何人もの画家が彼に近づきたいと願った。しかし、誰一人その高みには及ばない。レンブラントもルーベンスも、ベラスケスでさえその才能に嫉妬した。
 彼の絵の特徴は強烈なキアロスクーロ(明暗の対比)とそこから浮かび上がる人物の圧倒的な存在感である。この「エマオの晩餐」も例外ではない。食事を共にしていた人が、処刑されたはずの主イエスであったと、弟子達が気づき驚愕する有名な聖書の場面である。驚きのあまり椅子から立ち上がろうとするクレオパ。右肘の衣装のほころびが、イエスそして弟子達の苦難を象徴する。感嘆の声を上げるペテロの両腕は磔刑を連想させるように大きく広げられ、イエスの肩・右腕とクレオパの頭・左上腕に繋がり、緩い円弧となって画面に安定感をもたらす。宿屋の主人は何が起こったのか分からずに呆然とする。パンに祝福を与えるイエスの表情は穏やかで慈愛に満ち、一瞬の出来事を永遠の逸話に変える。スフマート技法で描かれたペテロの右手は、コントラストの強いイエスのドレープとの対比により、触れ難いオーラをイエスに与える。しかし、それはイエスの内面から滲み出る美徳であり、奇跡を起こした聖人の超俗的な神々しさではない。事実イエスと宿屋の主人の描写には光の当たり方以外、何の違いも見いだせない。カラヴァッジョは聖人であれ英雄であれ、庶民と同様に生活感のある人間として描いた。当時の常識からすれば、極めて異端で革新的であり、庶民は熱狂的にそれを支持した。
 カラヴァッジョは無頼の徒であった。喧嘩や乱闘は日常茶飯事。暴行、恐喝などの犯罪歴は枚挙に暇がない。ついには賭け事のいざこざから決闘騒ぎとなり、殺人まで犯した。その彼がなぜ、絵画史に燦然と輝く作品群を生み出せたのか。漆黒の闇を知る者のみが、天上の光を体現できると言うのか。独善的な倫理感。抑えきれない欲望と邪悪な感情。しかし彼は自責のかけらもない蛮人ではなかった。とある教会で免罪の聖水を差し出された時、「私の罪は死に値する」と言って、それを拒んだという。罪を重ねる毎に、敬虔で崇高になる絵画表現。贖罪ではなく懺悔。彼自身意識することのないこの懺悔の中に、凍えるように孤独な魂の叫びを聞く。後に「呪われた画家」と評されるカラヴァッジョは、逃亡中の行きずりの地で熱病に倒れ、三八年の短い人生を閉じた。





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