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ミューズに捧ぐ「恋」の微熱 ミュシャ

    


 ミュシャと聞くと、淡く切ない感情が、胸の奥深くで疼き出す。ささやかな「愛」ではなく密やかな「恋」。もはや、純粋・無垢な少年の恋ではない。訳知り顔で楽しむ熟年の恋とは、さらに距離を置く。身を焦がすような青春の恋は、むしろ対極にある。情動に流されることはなく、理性に煩わされることもない。五年前、上野の森の美術館で私はミュシャの描く女神(ミューズ)たちに、「恋」をしたのだ。当時の感情の高まりは、気づかない程の微熱となって、時折ふと思い出しては私の心をほのかに温める。
 四点セットの装飾パネル、「四つの星」。左から、「宵の明星」、「明けの明星」、「北極星」、そして「月」である。それぞれの絵に対する思い入れは、ここでは書かない。紙幅の都合だけではない。「月」のミューズが私に口止めをする。つまりは、秘密にしたいのである。この淡く切ない感情の機微を。ミュシャの描く女性は、妖艶で官能的ではあるが、何処か清楚で少女の面影を残している。また品格を漂わせながらも、親しみやすい温もりを失ってはいない。その伸びやかな肢体は蠱惑的ではなく、むしろ健康的である。この魅力には抗えない。「四つの星」はミュシャの芸術的軌跡の変曲点ではないかと思う。連続的でありながら、微分的な解析では大きな転換を示している。アール・ヌーボーの寵児としての絶頂期、パリ万博で依頼された仕事をきっかけとして、スラブの民族意識に目覚め、精神的な支柱を自らに求めた。色彩の彩度と装飾的な絢爛さは抑制され、これまではあまりみられなかった光の描写が主題を輝かせる。
 ミュシャの絵は、リトグラフという印刷技術の発達により、庶民が気軽に購入できる装飾パネルとして売り出され人気を博した。また大衆向け商品の宣伝用ポスターとして巷に氾濫した。アール・ヌーボーの一側面は、芸術と日常の生活を直接結びつけることであり、ミュシャ自身その運動に積極的に参画したのであるが、次第に商業的な足枷が窮屈になってくる。アメリカへの移住、チェコへの帰郷、自らのアイデンティティを求めて魂の放浪が始まり、油彩画の傑作「スラーヴィア」を経て、連作「スラブ叙事詩」に終着する。しかし、安価な印刷物として庶民に消費されていく芸術こそが、ミュシャの今日的名声を支えている。彼の描く女性は魅力的で美しい。いつでも夢の続きを見せてくれる。だが、実在感に乏しいのは否めない。彼女たちは、ベル・エポックに束の間の光芒を放ち、人々の称賛に身を委ねると、ついには灰になり土に還る命運のもとに生まれてきた。抱きしめるとすり抜けてしまう。その危うさと儚さに、私は「恋」をしているのだ。





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